トリプルネガティブ乳癌が脳に転移した話②
着の身着のまま2ヶ月の入院がスタート
出勤スタイルで着の身着のまま、何も持たない状態で2ヶ月入院になった月曜日。
入院で最低限必要なものを夫が取りに帰り、職場に連絡、取材や友人との約束、美容院など全ての予定をキャンセルする。世界陸上のチケットも買ってたのになー。
この後どうなるんだろう。
乳癌が脳に転移って、次のフェーズに入っちゃったよなぁ。
もう既に気持ちで負けていて、今回は戦えないかもしれない。
高校のダンス部のグループLINE、仲良しの荏田友に連絡をする。
ダンス部はLUNA SEAに負けないくらいサポートする!と。
吹いてしまった。
それが言葉だけだったとしても気持ちが嬉しいし、実際の彼女たちの結束力とサポートがすごくて、ユーモアもたっぷりで、16歳でこんないい友達ができた私はとてもラッキーだったんだと思った。
今から作ろうと思ってもこの関係は作れないよ。
T病院乳腺科の主治医に泣きながら電話をすると、
全適しても癌細胞が消滅してもトリプルネガティブだと転移があり得るとのこと。
トリネガしぶとすぎる。
今回はK大学病院ですぐに診てもらえるので(またT病院に行っていると時間がかかってしまうので)、そのままそちらで診てもらいましょうということになった。
とりあえずのタオルや使い捨ての紙パンツなど足りないものはローソンと売店で買い足した。
最近の紙パンツの履き心地の良さに驚く。
点滴棒を押しながら、どんどん左側に寄って行ってまっすぐ歩くこともできなかった。
翌日からは検査が続いた。
大体の事は大丈夫だったけど、3DCTは苦手だった。
まず使う造影剤の色が凄かった。
絶対にブラックライトで光るだろうなと思われる紫とイエローの2色薬剤を腕に入れられたときは、圧力で口からアルコール的な薬剤が出ちゃうんじゃないかと思った。
ギブー!と腕を振っても誰も来てくれなかったし、下半身がかーっと熱くなっておもらししちゃったかと思った。実際漏らしてはいなかった。
視野狭窄の検査では、見事に左下が見えていなかった。
手術は翌週に決まり、私は脳外科病棟に移動した。
脳外科病棟は特殊で、今まで一人で外出OKだったものが、一人では外出できないルールになっていた。
これは困った。
入院食のこと
入院食は1食510円かかる。
保険はきかない。
510円×3食×60日=91800円
え、2ヶ月入院すると食費だけでこんなにかかってしまうの??
2ヶ月働けないのに?
もういろいろ不安すぎて師長さんに「入院食ってキャンセルできないんですか?」って聞いてみたら、「自分で用意できるならいいよ。」とあっさり返ってきた。
え、いいんだ?知らなかった。
ということで、入院食キャンセルスタート。
デイルームには電子レンジ、トースター、給湯器があるので、高校の友達がレトルトごはんや無印のレトルト食品、紙皿などをを大量に送ってくれた。マジでありがたかった!

洗い物が出ないパキット、便利だった。
私のわがままでキャンセルしていただけなのに、みんなの支援物資で毎回フェス飯みたいに楽しめた。
あの入院食のどんどん食欲がなくなる感じがないだけでも気持ち的に助けられていた。
1人では外出ができなかったので、検査のついでや面会のついでに付き添い有りでコンビニまで朝食のパンを買いに行っていた。
510円で栄養を考えられた定食を出してくれるのはありがたいけど、3食それ必要?
特に朝食なんてトースト1枚とコーヒーで充分だよ?色々な人が入院してるわけだけど、朝食に毎回510円かけられるほどセレブじゃないよ?
と思っていたので、ここの病院は最高だった。

ローソンのあんクロとコーヒー。これで充分。

夫の差し入れモーニング。
乳癌でお世話になった都心の病院と違い、今回はかなりアットホームな雰囲気の病院。
デイルームにいると顔見知りができ、似たような病状の方と気兼ねなくおしゃべりできるようになった。
そして、全く知らなかったけど、こちらのK大学病院は脳外科が優秀で、ここに搬送されたのはかなり運が良かったとのこと。不幸中の幸い。
乳癌先輩のコヤナギユウちゃんにも連絡をすると、速攻でお見舞いに来てくれた。リアルに必要だったGUのスエットを買ってきてくれた。手作りのクッキーや大好きなアールグレイの紅茶も嬉しかった。
最後にハグをした。
フッ軽すぎるし元気でたよ。ありがとう!
乳癌、脳転移 を検索してしまう
「乳癌、脳転移」の言葉が重すぎて消灯後にデイルームで泣いていた(病室では皆さんの迷惑になるので)。
検索すると勝手にAIが5年生存率を出してきて、低っ!ってなった。
乳癌になったときにあと10年生きられるかな?と予定は先延ばしにしないように生きようと思っていたけど、本当にいつ何があるかわからない。
でも、事故や災害で突然亡くなることだってあるし、ちゃんと振り返りができて、お別れができるのはマシなのかもしれない。
あまりに不安でもやもやするので、病室に主治医が来た時に、私ざっくりあとどれくらい生きられるんですか?って普通診察中に聞くことを大部屋で聞いてみたら、腫瘍をとれば症状は改善されるはずだし、今すぐ命がどうこうというものではない。とのこと。
おや、私もう死ぬのかと思ったし、夫も看取る覚悟はできていたけど、まだ大丈夫みたい?
嫌なのは働けないのに要介護になってしまうこと。
いろいろ最悪なことを考えていた。
社会復帰できるのかとか、社保や傷病手当とか調べないとわからないこと、医療費の不安、いろいろやること、考えることが多くて、頭がパンパンになる。
何も持っていないので、手術前に1回家に帰りたいとお願いして2泊3日の外出許可を得た。
終活もかねて少し整理しないと。
最悪の状況の中でもマシなことを探す。
今回は、海外旅行中じゃなくてよかった。
異変にすぐ気付いて自分で救急車を呼べたのは良かった。
脳外科の強い病院に搬送されて良かった。
夫と友人に恵まれて良かった。
午後に突然雨が降ってきて、窓の外で歩く人が傘をさしはじめたのが見えて「天使たちのシーン」みたいだなと思った。
それからこの生と死を歌う曲を何度も何度も聴いていた。
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