トリプルネガティブ乳癌が脳に転移した話③
2泊3日の外出が終了
②からの続き
日曜日の夕方、2泊3日の外出を終え、いつもの病室に戻る。
結果から言うと、私は20日間の入院を終えて退院するのだが、この時点では、2ヶ月入院することになっていて、まだ1週間しか経っていない。
つまり、長い入院生活は始まったばかり。
オペ前日
月曜日、オペ前日のこの日はいくつかの検査をこなす。
お見舞いに来た高校の同級生と、遅めのランチをとった。
K大学病院には老舗レストラン松本楼があって、入院中でもこんな有名な洋食屋さんで食事ができるのはありがたい。

松本楼のカニコロッケ(別の日に友人が来た時のランチ)
食事が終わる頃、乳腺科のエコーの呼び出しがかかった。
友人と3人で待合室で並んで待ち、心配だった胸部のエコーをする。
女性の技師さんが、「一緒にいらしたのはどなたですか?」と聞いたので、
「友達です。明日オペなのでお見舞いに来てくれました。」
と言うと、
「いいですね。」と。
友人とは、ひとしきりおしゃべりをして最後にハグをして別れた。
この日のお見舞いは、30年以上の付き合いがないと出せない空気感があった。
『ホットスポット』とか『ブラッシュアップライフ』のあの感じぽくもあった。
時々しか会ってないけど、16歳でいい友達ができたんだなと思った。
静かだけど力になった、なんだか忘れられない日になった。
オペ当日
脳腫瘍のオペは朝8:30スタート。
夫も8:00には病室に来ないといけない。
早起きできるか、それが一番プレッシャーだったらしい。
私は寝るだけ、先生たのんだー。
全身麻酔が腕に沁みて「痛い痛い」と言っている間にあっという間に6時間だか8時間が過ぎ、そのままICUへ。
夫と看護師さんと少し会話をしてうとうと眠っていた。
オペ翌日
翌日はICUで朝食かランチか忘れたけど、入院食を食べていつもの病室に戻った。
鏡を見たら、白い帽子をかぶっていた。
「タップ君(タオルおばけ)みたいになったよー。」と写真を撮って友達にLINEをした。
翌日に歩いて自撮りしている状況にみんな驚いていた。
1人でトイレにいけないと管を抜いてもらえないので、「絶対に大丈夫だから、お願いします。」と懇願して尿管を外してもらった。
算数のリハビリが始まり、算数苦手マンとしてはドキドキしてつまづいてしまった。
夕方に夫が来て、どうしても食べたかったローソンのあんクロワッサンとコーヒーを買って来てもらった。
こういうものを欲していた。
でもこの時点では、パンは食べてはいけなかったみたい。夕食はまだお粥だった。
あまりに私が普通に過ごしていたので、病室に様子を見に来た先生に「もう帰れそうですね。」と言われた。
オペから2日後には、頭(脳)のリハビリと脚、腹筋、腕のリハビリが始まり、
1人で外出OKが出て、コンビニまで行けるようになった。とにかく歩いた。
全ての管が外れて自由の身になり、先生から、「回復が早いのであと1週間くらいで退院できそうですね。」と。
え、最初2ヶ月って言ってたのに、嬉しすぎる。だったら仕事辞めなくて良かったのでは…。と思ったけど、今の状況を喜ぼう。
退院日と今後の治療方針が決まる
オペから4日後、やっと洗髪の許可が出た。
頭には30個くらいホチキスの針(業務用サイズ)が刺さっている。
頭の傷がどんな形でどこにあるのか把握しないと触るのが怖いので、看護師さんに傷を描いてもらった。
「コの字と聞いていたけど”つ”だね。」と友人からメッセージがきた。
そうだね、「つ」だ。
オペから5日後、「次の土曜日に退院しましょう。」と先生に言われる。もう、ガッツポーズ。
腫瘍もなくなったことで、まっすぐ歩けるし、なんなら走れるし、すっかり入院前と変わらない状態に戻った。
暇すぎて、ストレッチと筋トレもして退院までにムキムキになっちゃうよ。くらいの気持ちで過ごしていた。

入院患者と思われないレベルに回復した。ほぼこの広場で過ごしていた。
ただ、まだ小さな病片があるので、他のクリニックで2泊3日の治療入院が必要とのこと。
2週間前まではもう死ぬのかもと絶望的な気持ちだったけど、今は「サクサクと終わらせるぞ。」という気持ちに変わっていた。
先日撮った胸のエコーも異常は見られなかった。

お寿司の差し入れ。この病院寛容すぎる。
退院しました
ホチキスの針も抜けて、予定より40日も早く退院ができた。
悪夢のような、嘘のような人生で最大のピンチを迎えた20日間だった。
支えてくれたみんな本当にどうもありがとう、みんながいなかったらこんなに元気に過ごせなかったよ。
しかしまだ戦いは続く。
[関連記事]
・トリプルネガティブ乳癌が脳に転移した話①
・トリプルネガティブ乳癌が脳に転移した話②
◆本サイトではアフィリエイト広告を利用しています
最近のコメント