抗がん剤の副作用と自分ルール~トリプルネガティブ乳がん闘病記
2024年4月 トリプルネガティブ乳がんになりました
2024年4月に左胸に直径3cmほどのしこりを発見。
トリプルネガティブの乳がんステージ2B、左リンパ節転移有。
翌5月から抗がん剤治療が始まる。
癌治療で悲しくなることの1つが、抗がん剤の副作用。
個人的に1番悲しいのは脱毛だけど、これはもう諦めて覚悟を決めていた。
次に悲しいのが、味覚障害と食欲不振。
食べることが大好きな私には、これも相当なダメージになる。
他にも身体の痛み、免疫低下、吐き気、発熱、手足のしびれ、爪の変色&弱くなる、口内炎など、とにかくつらそうなものばかりだった。
抗がん剤が始まる前に、夫と美味しいものをたくさん食べた。
お寿司、うなぎ、カレー、フレンチトースト。
癌のステージがわかり「戦える」と思ったので、SNSに簡単に体調不良報告をした。
メッセージの他、お守りや、アマゾンギフト、おいしいお菓子や絶品のあおさなどが仲良しさんから届いた。
その度に泣いた。みんな、本当にありがとね。
以前仕事でお世話になった方から「実は私も数年前に…。」とメッセージをいただいた。
『くもをさがす』(西加奈子著)をおすすめしていただき、読み始めていた。
私の抗がん剤治療は、24週かけて行われる。
前半の12週は毎週、後半の12週は3週間に1回、計16回の通院になる。
抗がん剤治療がスタート
5/22 抗がん剤1回目
この日は朝、病院近くのコーヒーショップで仕事を済ませ、9時に血液検査。
検査結果が出るのに1時間待ち、そして腫瘍内科の診察。
問題なければ、薬が用意され、化学療法室(ケモ室)で抗がん剤治療を受ける。
この時点ですでに12時くらいになっている。
左手首に点滴用の針を刺すのだが、血管が全く浮き上がらず、この日は2回やりなおして3回目でやっと刺さった。
朝、コーヒー沢山を飲んだのも敗因だった。
カーテンで仕切られたパラマウントのリクライニングベッドで薬剤師の説明を聞き、点滴が始まる。
テーブルと小さなテレビモニターもあって、さながらグランクラスだ。
スマホで自撮りをした。私はとても不安な顔をしていた。
食事にはいつも気を付けていた。
なるべく身体にいいものを取り入れ、健康的な食事を心がけていた。ケミカルなものは避けていた。
それが全部無駄になるのが悔しかった。
12週間毎週投与するのは、免疫チェックポイント阻害薬キイトルーダ、パクリタキセル、カルボプラチン。
この他に吐き気止め等も投与する。
これが始まったら、どんなつらいことが待っているんだろう。明日は大丈夫かな?
抗がん剤は怖いけど、癌細胞をやっつけるいいやつ。
抗がん剤は友達。
とキャプテン翼のような気持ちで臨むことにした。
副作用の不安とやっと治療が始められる安堵。
保冷剤で両手足を冷やし、しびれ対策をした。寒い。
この日は初日だったこともあり、病院を出たのは17時過ぎていた。
大量の薬をもらい帰った。
癌びっくりしたかな?
翌朝はスッキリ目覚め、副作用もあまりなく、食べたいものを食べた。
左脚が少しだるく湿疹ができていた。
その翌日、少しだるくなり、右脚にも湿疹ができた。
身体が重くてぼんやりする。背中も痛い。
唇がボロボロにむけた。
5/25
身体が痛くなかなか起きられなかった。
食欲がなくフルーツやそうめん、トマトジュースが美味しく感じた。
私のパターンは、抗がん剤を投与した2日後と3日後に副作用が強く出るようだ。
この2日後、3日後は抗がん剤治療が終わるまで、トマト系の料理やそうめん(さっぱりするもの)で乗り切っていた。
5/29 抗がん剤2回目
この日からは、自分で大量の保冷剤を持参しなければならず、重くて通院が結構大変だった。
看護師さんに「先週より顔が明るくなったね。」と言われた。(泣く。)
抗がん剤を投与すると途中でものすごい眠気に襲われ、がくんと寝落ちすることが分かった。
(1回目は緊張してそれどころじゃなかった。)
終わるとお腹が凄く減っていた。
抗がん剤の副作用で辛かったことの1つが吐き気。
本当に吐くことはないけど、うっ、となるのが続いた。
つわりに似ているそうです(妊娠したことないからわからなかった。)
乳癌の抗がん剤治療は3週間に1回のパターンが多く、この場合は、2週目、3週目にだんだん体調が良くなるけど、
私の場合は毎週だったので、常に体調の悪い12週間を過ごさなければならなかった。
無職になる
6月末で更新予定だった派遣の仕事は、結局終了になってしまった。
毎週水曜日に通院で仕事ができなくなり、木・金をリモートで対応していたが、最初の契約通りに出勤できなくなったので仕方がない。
まずはゆっくり休んでください。とのことだったけど、治療費(毎月6万弱)は稼がねば、休んではいられない。
しかし、体調面でも条件面でも仕事探しはなかなか厳しい。
いつもLINEで状況を伝えている看護師で友人のAちゃんからリップクリームが届いた。泣く。
3回目で腫瘍が半分以下のサイズになった
6/5 抗がん剤3回目
すぐ寝落ちしてしまい、「気持ちよさそうに眠ってましたよ。」と看護師さんに言われる。
もう慣れたのかも?
眠くて起きていられないし、両手を冷やすとスマホもいじれないので、思っていたほど本が読めない。
乳腺外科の診察で「あなた、キイトルーダについて前の病院で結構脅かされたみたいだね。」
と言われる。
初回でとっても印象の悪かった主治医は、前よりは優しい印象になった。
6/6
恐る恐る胸を触ってみると、腫瘍が半分以下のサイズになっている!
キイトルーダ効いてる!
抗がん剤を始めてから、胸の腫瘍がブチブチと小さくなっているのがわかる。
前とは違う痛み。
少し髪の毛が抜け始めた。通常2週間で抜け始めるそうだが、私のコシが強い立派な毛髪はなかなか抜けようとはしなかった。
そして生理が来た。
先生に聞くと、抗がん剤治療が始まってもまだ生理がくるらしい。
でも、これが多分最後。このまま閉経するようです(わぁい)。
6/9
脱毛が本格的に始まる前に、夫にバリカンで頭を丸めてもらった。
途中で悲しくて泣いてたけど、3cm坊主がダサくて笑ってしまった。
6/28
先週受けたエコーの結果「著効」とのこと。
外科の先生がこんなに早く著効と言う言葉を使うのは珍しいらしい。
ちょこー!いい言葉。
いつもカレンダーを見ながら、あと何回、あと何か月、あと何週間、とカウントダウンをしていた。
10月になればこのつらい治療から解放される。それまでは粛々とこなしていた。時が過ぎるのを待った。
6月末
5月に予約をキャンセルした温泉宿に、6月の終わりに行けた。
先生に「旅行に行くなら、後半がつらくなるから、早めに。」と言われていたから。
私は温泉には入れなかったし(汗から抗がん剤がでてしまう)、病気になってからの旅行は不安だったけど、リフレッシュができた。
7/2
社保から国保へ変更。
病気の為無職になったのに、医療費が25000円ほど上がってしまう。日本のおかしな制度。
7/3 抗がん剤治療7回目
この日から、頭も冷やすことにした。
病院では頭皮冷却も行っていたが、抗がん剤治療のスタートが遅くなるので断っていた。
既に髪の毛はほとんど抜けてしまったけど、何もしないよりいいよね?って。
こんな冷却キャップを買ってみた↓
|
この日、左に刺せる血管がなく、右腕に刺してもらう。
7/10 8回目
先週休ませた左腕が炎症を起こし、この日も右腕で点滴をする。
正直、右手も左手も血管痛で悲鳴を上げていて、日常生活にも支障が出ていた。
CVポートを入れることにした。
抗がん剤治療残り8回。
抗がん剤とどう付き合っていくか?
抗がん剤治療と聞いて漠然と恐ろしさを感じたけど、実際には、副作用とどう付き合っていくかが重要だった。
吐き気があるときの食事管理、ケガをしないための(血が止まりにくくなっている)毎日の家事の家族のサポート、感染症にかからない努力、猫に引っ掻かれないための距離感。
我が家では、料理や食器の片付けについては夫が全て対応してくれたので、本当に助かった。(私はよく指を切ったりやけどをするので)
あと、抗がん剤治療中は免疫がダダ下がるので、いろんな人と会うのはダメ。と厳しくAちゃんに言われていたので、自分ルールだけど、会社、病院、夫以外は誰とも会わないようにしていた。
今年の夏は暑かったし、身体は常にだるかったし、外に出たいと思わなかったので問題なかった。
乳がんになったので、今のうちに会いたい人に会う!って方が2回も感染症にかかっているのを見たので、Aちゃんを信じて良かった。
味覚障害について
そういえば、恐れていた味覚障害はほとんど現れなかった。
これは体質と薬の相性によると思う。
しかし、ブラックコーヒーが美味しく感じなくなってしまったので(高い豆でも安い豆の味がする)、安い豆で済ませていた。そして、豆乳を入れたほうが美味しく思えたので、しばらくはカフェオレ生活が続いた。
なんでも美味しく食べられたのは助かった。
心配していたお寿司や刺身などの生ものも食べて問題ない(※)とのことだったので、食べるようになった。
※免疫が下がっているので、注意は必要。
友人から届いた美味しいお菓子。私に元気をくれた、嬉しかった。
抗がん剤治療後半戦に続く。
◆本サイトではアフィリエイト広告を利用しています
最近のコメント